ヲカシック・レコード

われら今、真にこれ声聞なり。佛道の声をもって一切をして聞かしむべし。(妙法蓮華経 信解品第四)

『興尊雪寃録』の妄説を破す:二、血脈相承についての愚難を駁す(堀米日淳師・昭和三十年十月)

(底本:日淳上人全集 下巻 p.1442)

『雪寃録』第二項は「血脈相承についての御聖訓」といふ見出しである。この中において高田氏は大聖人の『法華宗内証仏法血脈抄』の御文を引き、大聖人の血脈相承は本仏釈尊―上行菩薩―日蓮であらせられ、これは“内証血脈相承”であってまた“経巻相承”であらせられるとし、また『顕仏未来記』の御文により、釈尊・天台・伝教・日蓮の三国四師の相承を外用の師資血脈とし、しかして内証・外用の両相承により師資・経巻の両相承が表裏をなしてをる、と解釈してをる。

 

次に「血脈」の語義を説いて、
一、身体の血管
二、血筋
三、伝統、仏法等の伝統される脈絡
とし、第三の「血脈」の例を御書にとって、『一期弘法抄』の「血脈の次第 日蓮 日興」と仰せられた場合と、『生死一大事血脈抄』の「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せたまひしを以て“信心相承”として、この二つを挙げてをる。

 

しかして相承とは『戒体即身成仏義』のごとく「相とは相対なり、承とは伝承なり、師弟相対し師より弟子へ道を伝承するなり」といふ。

 

かように解釈して次に進んで“師資・経巻の血脈は表裏を為すもので、この両血脈を伝承するには信心の血脈を以てする”となし、山川智応氏の教・行・証の三重をとって“三重の血脈”を立て、さらにこの血脈を伝持するものは“信心血脈”であると、かくいって「今我々が大聖人を慈父と仰ぎ、南◯経と唱ふるものが“信心血脈”を相承するものである」とし、「日蓮正宗の唯授一人の相承などあるはずがない、それは“隠し食い相承”であり、また顕本法華宗の経巻相承は“土足相承”である」と田中智学氏の言葉を借りて評してをる。

 

しかして次に「“信心血脈”は田中智学氏にあり」として、その証拠として小川泰堂居士のことを挙げてをる。それは「泰堂居士が当時の門下に“正しき大聖人の弟子なし”、として自ら法名を撰び霊牌に記し、家人に告げて歿(=没)後、“法華の正脈の俗士”が訪れるであろうから、その人に法名をつけてもらえ、と遺言をした。智学氏が訪ねた時、家人に懇請されて法名を諡られたが、これをもって田中智学氏が血脈紹継の人であることは明らかだ」といふのである。

 

以上が大要であるがこれを読むと、読んだあと“煙に巻かれた”という感じがする。御本人は順序次第を立て整然と説いたと考へておるであろうが、これはまったく辻褄(つじつま)があっていない。

 

それはアベコベに説いてをるからである。御書を引いて内証相承・外用相承を説き、師資・経巻・血脈等の相承を説きながら、結局は“信心血脈”のみを立てることにしてその他を否定することになってをる。これは“国柱会の血脈”を立てやうとするあまり、かような珍説を主張することになったと思はれる。

 

けだし、『生死一大事血脈抄』において「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せられた血脈は脈絡のことで、すなわち信心がなければ脈絡は成り立たないとの御意であらせられ「夫れ生死一大事血脈とはいわゆる南無妙法蓮華経これなり」とは血液たる仏法を御指し遊ばされてをることは、御文によって明らかである。血液があり、脈絡があってその上に相承ということができるのである。

 

その相承に師資相承・経巻相承、これに内証相承・外用相承があってこれ等の相承が具はって完全に相承の義が成り立つのである。仏法において相承の義が重要視されるのは、仏法が惑乱されることを恐れるからであって、すなわち魔族が仏法を破るからである。そのため展転相承を厳にして、それを確実に証明したまふのである。

 

天台大師は薬王菩薩として法華会上一経の付嘱を受けて像法に法華を弘宣し、伝教大師は天台に相承して日本に弘宣したまふ。これ法華の証明するところである。

 

日蓮大聖人は上行菩薩として法華会上、妙法蓮華経の付嘱を受け、末法に弘宣したまふ。

 

これを外用相承の辺に拝すれば、釈尊・天台・伝教・日蓮と三国四師の相承が立てられ、内証相承の辺に拝すれば、大聖人は釈尊・日蓮(上行菩薩)で『三大秘法抄』に「この三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せし也」でと仰せたまふところ、また経証に分明なるところである。

 

しかしその御内証の相承はいかにといへば、寿量品文底に説かれるところ大聖人は久遠の御本仏にましますとの御事である。「今・日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾(けに)計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」と仰せたまふところである。

 

以上は大聖人の相承の御義であって、しからば大聖人の御あとはどうであらせられるかと拝すれば、直弟子中、日興上人を御選びあそばされ、一切大衆の大導師として一期の弘法を御付嘱あそばされ、『弘法抄』をもってその事を証明あそばされたのである。

 

御文中「血脈の次第 日蓮・日興」とあらせられるのは大聖人の正統を決定したまふためであって、付嘱相承・師資相承等の一切の相承のことがこの御文によって立証されておるのである。

 

しかして、そのあとのことは日興上人を師と仰ぎ、師弟相対して相承したまひ、大衆(だいしゅう)はおのおのまた師弟相対して相承してゆくのが仏法の道である。

 

(大衆は)内証の上には大聖人の御弟子であることはもちろんである。といって内証のみに執せずして、師弟の関係を整へることがもっとも大事であって、これを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起こってくるのである。高田氏は智学氏が大聖人の滅後六百年の断絃(だんげん)を継がせたまふといってをるが、師弟相承の証明もなく、その法門においても相承のあとがまったくないのである。

 

高田氏はいふであろう、法華経と御書六十余巻を手に握って立つるところで文証これにあり、と。それならば、なにゆえに顕本法華宗の経巻相承を“土足相承”と評するか。国柱会の“信心相承”も同一徹である。

 

大聖人が「経を手に握らない法門は信ずるな」と仰せられしは、「たとい師資相承があるといっても、経文にないことは信ずるな」との聖訓であらせられる。経文や御書そのものを手にすればそれによって相承があるといふのではない。御書には「この経は相伝にあらずんば知りがたし」と仰せられてをる。

 

田中智学氏や顕本法華宗の経巻相承はそれを証する文証がどこにあるか、“信心血脈”は付嘱相承の場合、問題ではない。法華一会の時、一切の菩薩や人天の方々を、「止みなん善男子」といって制止したまひ、上行菩薩に付嘱したまひしは、信心の有る・無しによりたまひしものか。

 

まさか高田氏もそうは言はないであらふ。また大聖人が仏法―「最大深秘の正法」と仰せたもふ秘法、また「末法には持ち難し」と仰せたもふ大法をただ“信心”だけで付嘱したもふと考へるのは迂愚(うぐ)の骨頂ではないか。そういう顛倒の考え方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈(ばっこ)するのである。