ヲカシック・レコード

われら今、真にこれ声聞なり。佛道の声をもって一切をして聞かしむべし。(妙法蓮華経 信解品第四)

YouTubeチャンネルの件

ちょっと前に、「法華経ライブ☆ヲカシックちゃんねる」というYouTubeチャンネルを開設したのですが、動画編集ソフトの使い方がよくわからず、発声障害を隠すこともできなくて、お恥ずかしい限り...。

www.youtube.com

ほそぼそとでも継続していくべきなのですが、始めた頃と比べてなんだか意欲が減退してしまって最近はちっとも音源を録音・編集していません。

 

「語り部」と名乗るくらいならYouTubeチャンネルくらいは...という意気込みが今はあまりなくなってしまいました。

 

近いうちに結論を出します。

信仰ってつまるところ、その正体は何なんだ、という哲学的な「問い」

信仰ってつまるところ、その正体は何なんだ、という哲学的な「問い」は、私には昔からあった。いつかと言うと、小学生の頃、『戸田城聖全集』の「質問会」編を読んでから。中学生の頃には日蓮正宗第26世日寛上人の『六巻抄』の創価学会版の講義録に手を出した。しかし、「答え」は得られない。苦しんだ。

高校生の頃、顕正会に移っても、「問い」は解けなかった。当時は白黒ハッキリさせたい気性だったので、苦しんだ。

ようやく、二十代後半に、顕正会の『六巻抄』講義録が入手できるようになり、期待して視聴したが、通りいっぺんの説明しかなく、哲学的な深みは感じられなかった。失望した。

その頃、低血圧と低血糖で器質性の病いを患った。顕正会を離れ、日蓮正宗の寺院に所属を移した。天台大師の『摩訶止観』を一通り読んで、答えを出すことにした。

まだ、問いの決着はついていない。時間的にも、肉体的にも、弱さが感じられるようになって、『摩訶止観』は一回、通読してあきらめてしまった。

今はまだ『摩訶止観』ではなく『法華経』を読みたい。『摩訶止観』はまだ早い、と思っている。

ブログの再開にあたって

「法華経の語り部」こと可咲(かえ;ペンネーム)です。「語り部」を名乗るくらいですから、法華経を現代語訳してYouTubeで語っていきたい!くらいの欲求はあるのですが、服用している薬の副作用のためか発声障害があり、あきらめています。そのため、インターネット空間ではなく、リアルでの布教で「語り部」として活動しています。

 

それでも、インターネット空間で「ものがたり」と言えるものを読み聞かせしたいと思い、このブログを再開しました。

 

さて、私が顕正会を脱会して日蓮正宗の勧誡を受けてから、今年で10年になります。その間、いろいろなことがあったのですが、いちばん大きな方針転換は、インターネット空間で折伏をしなくなったことです。

 

理由は、宗教の本質は所属する神話の受容にあり、共通の神話を受容できない人間同士での議論は不毛で非生産的だと気づいたから、です。

 

宗教というのは、宗教者(聖・俗)が神話を受容することによって成立します。神話というのは、キリスト教では「キリストの復活」にまつわる「伝承」であり、日蓮正宗ではいわゆる「本門戒壇の大御本尊」と「法主」にまつわる「伝承」です。

 

言うなれば

「どの神話をどのように受容するかによって、どの神話にどのように所属するかによって、人生の超自然的な部分は大きく変わってくる」

ということに気がついたのです。

 

もちろん、顕正会の会長である浅井昭衛さんが老衰にかかわらず、会のトップに君臨し続けているのは「神話の継承」がうまくいっていないせいなのかも知れませんが、対峙している創価学会や日蓮正宗という組織で「神話の継承」がホントにうまくいっているのかは、あと二・三世代くらい後の時代にならないと分からないと思います。

 

日蓮正宗内部でも、神話を共感的・共時的に受容できる人間関係の構築は、立ち遅れています。創価学会員への布教は進んでいるようですが、それ以外の宗教者への布教はうまくいっているとは言えないのではないでしょうか。

 

このような状況で、インターネット空間での議論に明け暮れていても、布教は進まない。時間の無駄です。

 

今、「法華経の語り部」としてできることは、あの宮沢賢治がやろうとしたように、「説話」や「経典」を、「小説」や「童話」、あるいは「ライトノベル」という、時代に受け入れやすい形にして広めていくことではないかと思っています。

末法において仏果を得る条件

弥勒菩薩に「非算珠所知・非心力所及」(算珠の知るところにあらず・心力のおよぶところにあらず)という言葉がある。 この言葉は、『妙法蓮華経・如来寿量品第十六』の、釈迦仏と弥勒菩薩の問答の中で出て来る。 素直にその前後の書き下し文を書いてみると、こういう言葉だ。 (底本=大石寺版『新編・妙法蓮華経并開結』) まず、寿量品の説法が釈迦仏の三請で始まる。

そのときに佛、もろもろの菩薩、および一切の大衆に告げたまわく、 「もろもろの善男子、汝等(なんだち)、まさに如来の誠諦の語を信解すべし。」 また大衆に告げたまわく、 「汝等(なんだち)、まさに如来の誠諦の語を信解すべし。」 またまた、もろもろの大衆に告げたまわく、 「汝等(なんだち)、まさに如来の誠諦の語を信解すべし。」

この部分は『妙法蓮華経』の中で、もっともおごそかな雰囲気のイントロとなっている。 くだけた表現に直すならば、釈迦仏が

お前たちに、これから我が仏果を開示する。雑念・疑念を払って、ただ信心の二字で受け止めよ。

と、三回繰り返されるのだ。 これに、弥勒菩薩が願主として答える。

このときに菩薩大衆、弥勒をはじめと為して、合掌して佛にもうしてもうさく、 「世尊、ただ願わくばこれを説きたまえ。われらまさに佛の語を信受したてまつるべし。」 かくのごとく三たびもうしおわって、またもうさく、 「ただ願わくばこれを説きたまえ。われらまさに佛の語を信受したてまつるべし。」

くだけた表現に直すならば

世尊よ、私たちはただ信心の二字で、あなたの仏果開示を受けとめます。

と四回繰り返すのである。 このときの弥勒菩薩の心中はただ、一念信解に徹する決意であった、と拝察する。 このおごそかなイントロがあって、寿量品はようやく説法が始まる。

そのときに世尊、もろもろの菩薩の三たび請じて止まざることを知ろしめして、これに告げてのたまわく、 「汝等、あきらかにきけ、如来の秘密神通の力を。一切世間の天・人・および阿修羅、みな 『今の釈迦牟尼佛は、釈氏の宮を出でて、ガヤ城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり』とおもえり。しかるに善男子、我れ実に成佛してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫なり」

くだけた表現に直すならば、

世尊は、弟子たちの機根が純熟し、まさしく仏果開示を受け切る準備がととのったことを知って、なお、いましめて言われた。 「お前たち、耳を済まし、頭の中から雑念・疑念を払って聴きなさい。これから我が仏果を説くこととする。」 そして、続けて言われる。 「世間的には、みな『お釈迦さまは、王城を出家し、森林の中で、瞑想によって、仏果を得たのだ』とおもっていることだろう。しかし、お前たちに真実を告げると、我が仏果証得は、すでに無量劫のかなたの過去世にあるのだ」

と説かれるのである。 ここで、いよいよ、本日のタイトルに関係する話がでてくる。「五百塵点劫」の説明である。

たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、たとい人あって、抹して微塵となして、東方、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、すなわち一塵をくだし、かくのごとく東に行きてこの微塵を尽くさんがごとし。もろもろの善男子、こころにおいていかん。このもろもろの世界は、思惟し校計して、その数を知ることを得べしやいなや。

「三千大千世界」というのは今の天文学の実体におきかえて言うならば、銀河系などの星団・星雲のこと。 小千世界が太陽などの恒星を中心とする世界、中千世界がその小千世界をたばねる恒星の集団、そして大千世界が銀河系となる。 だから、くだけた表現に直すならば、

たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の銀河系を、粉微塵にして、東方、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、一つぶのチリを落とす...このようにして、東に行きてこのチリが無くなるとする。お前たち、この数の銀河世界は、計算して、その数を知ることができると思うか?

となるだろうか。 弥勒菩薩をはじめとする、弟子たちは一斉に答える。

世尊、このもろもろの世界は、無量無辺にして、算珠の知るところにあらず、また心力のおよぶところにあらず。一切の声聞・辟支佛、無漏知をもってしても、思惟してその限数を知ることあたわじ。われら、阿惟越致地に住すれども、この事の中において、また達せざるところなり。世尊、かくのごときもろもろの世界は、無量無辺なり。

算珠というのはソロバンのこと、今で言うならコンピューターのこと。 くだけた表現に直すならば、

弥勒菩薩は、 「たとえ、コンピューターとして帝釈網を駆使しても、絶対に知り得ることはできません。」 と答えた。

ということだ。 釈迦仏が仏果を得てから、現在にいたるまでの時間をひと言で片づけてしまうのは(釈迦仏自身には)たやすいことだ。 だから、次の説法は、

そのときに佛、大菩薩衆に告げたまわく、 「もろもろの善男子、今、まさに分明に、汝等に宣語すべし。このもろもろの世界の、もしは微塵をおき、もしはおかざるところを、ことごとく以って塵となし、一塵を一劫とせん。我れ成佛してよりこのかた、またこれに過ぎたること、百千万億那由他阿僧祇劫なり」

となる。 くだけた表現に直すならば

佛は弟子たちに告げた。 「この銀河団の、微塵をおいたところ、もしはおいていないところを、ことごとく以ってまた粉末にし、一つぶの塵に一劫を乗算する。この時間が、仏果を得てから過ぎ去った時間、「五百塵点劫」である。」

想像すると分かるだろう。 弥勒菩薩にしてみれば、無限のように感じられる「五百塵点劫」は、釈迦仏にとっては、有限の時間なのである。 釈迦仏が「五百塵点劫」を説き、弥勒菩薩が「私には(頭では)分かりません。(頭では)理解できません。」と答える。 いわんや、釈迦仏の仏果の具体的な内容など、弥勒菩薩には知り得ようがない。 弥勒菩薩が帝釈網をもって計算するとも、かくのごとし。いかにいわんや、末法の素凡夫が、ノイマン型コンピューターをもって、計算をしようとするにおいておや。 ワトソン君にも、Siriたんにも、分からない魔法の言葉、それが仏果、すなわち「南無妙法蓮華経」なのである。

末法において仏果を得る条件

では、私たち、末法の素凡夫には、仏果は得られないのか? その疑問は、これが初心者の疑問ならば、答える段階ではない、と突き放すこともできる。 または、昔の私ならば、答える資格が無い、と謙譲することもできる。

 

大石寺第二祖・日興上人の時代の御本尊下附は次のような基準であった。 日興上人『富士一跡門徒存知事』にいわく 「一、御筆の本尊をもって形木に彫り、不信の輩に授与して軽賤するよし、諸方にその聞こえあり、いわゆる日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分においては、 在家・出家の中に、あるいは身命を捨てあるいは疵(きず。刀傷のことか。)をこうむり、もしくはまた在所を追い放たれ、一分の信心ある輩に、かたじけなくも書写し奉り、これを授与する者なり。本尊人数等、また追放人等、頚切られ死をいたす人等」(『富士宗学要集・第一巻』57ページより引用)と。

 

つまり、日蓮大聖人の御心に叶う、不惜身命の僧侶・信徒にのみ、時の大石寺法主上人から、その者に常住本尊を下附し、以って仏果証得の資格証明と為す、と。

 

私も、「日興上人の弟子分」として、「一分の信心」に立ちたいと熱願する者である。

故事『鹿野苑の王』原文(妙楽大師湛然『止観弘決』より)

(底本『富士学林版・訓読 摩訶止観弘決会本 上』)

「鹿苑」と言うは、『大論』にいわく…

昔、ハラナ王は山に入って遊猟するに、二の鹿群を見る。数は各五百なり。各一の主あり。一の鹿主あり、身は七宝の色なり。これ釈迦菩薩なり。また一の主あり、これ提婆達多なり。

菩薩の鹿主、王のその群党を殺すを見て大悲心を起こし、直ちに王の前に至る。諸人は競い射るに、飛ぶ箭は雨のごとし。

王はこの鹿の忌憚するところ無きを見て、

「必ず深意有らん」

として、勅して射ることなからしむ。

鹿は王のところに至って、ひざまずいて王にもうしてもうさく、

「王、小事をもって一時に鹿をして死の苦を受けしむ。もし饌(そな)えるに供するをもってせば、まさに次をつかわして毎日に一の鹿を送るべし」と。

王はその言を善しとす。

ここにおいて二の主はおのおの次をつかわして送る。

次に調達の群れの中に当たる。一の母鹿あり。その主にもうしてもうさく、

「われ死分に当たれり、しかしてわれは子を懐(はら)めり、子は死の次にあらず、屈(ま)げて料理を垂れて生者をして濫ぜざらしめよ、死者は次を得ん」と。

王はこれを怒っていわく、
「誰か命を惜しまざらん、次来たらばただ去れ」と。

母は思惟していわく、
「わが王は慈無くして横(よこしま)に嗔怒せらる」と。

すなわち菩薩王のところに至ってつぶさに王にもうしてもうさく、
「大王は仁慈なり。わが今日のごとき、天地は広遠なれども控告するところ無し」と。つぶさに事をもってもうす。

菩薩王のいわく、
「もしわれ理(ことわ)らずんば、枉(ま)げてその子を殺さん。もし次にあらずしてさらにつかわすならば、後の次に何をか遣わさん。おもうにわれ、まさに代わるべし」と。

思惟はすでに定まってすなわち自ら身を送って、鹿母をして遣わして群れに還らしむ。

菩薩の鹿王はその王の門にいたる。衆人これを見て、その自ら来たることを怪しみ、事をもって王にもうす。

王もまたこれを怪しむ。

王は問うていわく、
「群鹿の尽くるか、而してたちまちに自ら来たるか」と。

鹿王のもうさく、
「大王は仁慈にして人の犯す者無し。ただ滋茂することあって、尽くるときあること無し。ただ彼の群鹿は帰ってわれに告ぐ、われこれをあわれむがゆえにもし分にあらずしてつかわさばこれまた不可なり。もし縦にして救わずんば木石に異なること無し。この身は久しからずして必ず死を免れず。慈をもって苦厄を救わばその徳は無量なり。もし人として慈無くんば虎狼と何の別かあらん」と。

王はこの語を聞いてすなわち座よりたって偈を説いていわく、
「われは実にこれ畜獣なり。名づけて人頭の鹿という。
汝はこれ畜生なりといえども、名づけて鹿頭の人といわん。
理をもって人となし、形をもって人となさず。
われ今日より始めて一切の肉を食らわず。われ無畏をもって施(ほどこ)す。
また汝の意を安ずべし」と。

諸鹿は安きことを得、王は仁信を得たり。

…と。