細草書林

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(日寛上人『寿量品談義』)

『鹿野苑の王さま(下)』・「釈迦菩薩の捨て身と国王の改心」(通釈第三部)

釈迦菩薩は、国王の居城に着きました。

国王の家来たちは、「あの鹿が…たった一匹でやってきました!!」と報告し、城門は大騒ぎになりました。

国王は、釈迦菩薩に語りかけました。

「お前はなぜ一匹でやってきたのか。もう鹿の群れは尽きてしまったのか?」と。

釈迦菩薩は答えました。

「幸い、国王陛下のお慈悲のおかげで、鹿の群れは繁茂しております。ただ、一匹の牝鹿が子供を妊娠していまして。彼女をつかわさない、となったならばそれは国王陛下との約束をやぶることになりましょう。

しかしながら、木石のごとく頑迷に彼女をつかわしていたら、私は子供を見殺しにすることになります。」

 

国王は聞き入っています。

 

釈迦菩薩は続けました。

「私のこの身はいつまでも長生きしようたってそう、うまくはいかないものです。慈悲をもって彼女の身を救ったならば、その功徳は無量でしょう。慈悲がなければ、人として何の立場がありましょうか。」

 

国王はハッと気づいて、椅子より立って叫びました。

「ああ、自分は実に畜生と同じだったのだ。

あなたは畜生でありながら人として振る舞っている。

人間か畜生かは理屈の上で測られるべきで、形で計られるべきではない。」

 

釈迦菩薩はびっくりしました。

 

国王は続けました。

「王として自分は今日から一切の畜肉を食べることを止めよう。無畏をもって施すことにする。あなたは安心してください」

 

釈迦菩薩はびっくりして、

「いいのですか。本当に。感謝の言葉が思いつかないのですが、本当にありがとうございます!」

と言ってその場を後にしました。

 

これが鹿野苑と王城との契約の由来なのです。

末法において仏果を得る条件

弥勒菩薩に「非算珠所知・非心力所及」(算珠の知るところにあらず・心力のおよぶところにあらず)という言葉がある。 この言葉は、『妙法蓮華経・如来寿量品第十六』の、釈迦仏と弥勒菩薩の問答の中で出て来る。 素直にその前後の書き下し文を書いてみると、こういう言葉だ。 (底本=大石寺版『新編・妙法蓮華経并開結』) まず、寿量品の説法が釈迦仏の三請で始まる。

そのときに佛、もろもろの菩薩、および一切の大衆に告げたまわく、 「もろもろの善男子、汝等(なんだち)、まさに如来の誠諦の語を信解すべし。」 また大衆に告げたまわく、 「汝等(なんだち)、まさに如来の誠諦の語を信解すべし。」 またまた、もろもろの大衆に告げたまわく、 「汝等(なんだち)、まさに如来の誠諦の語を信解すべし。」

この部分は『妙法蓮華経』の中で、もっともおごそかな雰囲気のイントロとなっている。 くだけた表現に直すならば、釈迦仏が

お前たちに、これから我が仏果を開示する。雑念・疑念を払って、ただ信心の二字で受け止めよ。

と、三回繰り返されるのだ。 これに、弥勒菩薩が願主として答える。

このときに菩薩大衆、弥勒をはじめと為して、合掌して佛にもうしてもうさく、 「世尊、ただ願わくばこれを説きたまえ。われらまさに佛の語を信受したてまつるべし。」 かくのごとく三たびもうしおわって、またもうさく、 「ただ願わくばこれを説きたまえ。われらまさに佛の語を信受したてまつるべし。」

くだけた表現に直すならば

世尊よ、私たちはただ信心の二字で、あなたの仏果開示を受けとめます。

と四回繰り返すのである。 このときの弥勒菩薩の心中はただ、一念信解に徹する決意であった、と拝察する。 このおごそかなイントロがあって、寿量品はようやく説法が始まる。

そのときに世尊、もろもろの菩薩の三たび請じて止まざることを知ろしめして、これに告げてのたまわく、 「汝等、あきらかにきけ、如来の秘密神通の力を。一切世間の天・人・および阿修羅、みな 『今の釈迦牟尼佛は、釈氏の宮を出でて、ガヤ城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり』とおもえり。しかるに善男子、我れ実に成佛してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫なり」

くだけた表現に直すならば、

世尊は、弟子たちの機根が純熟し、まさしく仏果開示を受け切る準備がととのったことを知って、なお、いましめて言われた。 「お前たち、耳を済まし、頭の中から雑念・疑念を払って聴きなさい。これから我が仏果を説くこととする。」 そして、続けて言われる。 「世間的には、みな『お釈迦さまは、王城を出家し、森林の中で、瞑想によって、仏果を得たのだ』とおもっていることだろう。しかし、お前たちに真実を告げると、我が仏果証得は、すでに無量劫のかなたの過去世にあるのだ」

と説かれるのである。 ここで、いよいよ、本日のタイトルに関係する話がでてくる。「五百塵点劫」の説明である。

たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、たとい人あって、抹して微塵となして、東方、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、すなわち一塵をくだし、かくのごとく東に行きてこの微塵を尽くさんがごとし。もろもろの善男子、こころにおいていかん。このもろもろの世界は、思惟し校計して、その数を知ることを得べしやいなや。

「三千大千世界」というのは今の天文学の実体におきかえて言うならば、銀河系などの星団・星雲のこと。 小千世界が太陽などの恒星を中心とする世界、中千世界がその小千世界をたばねる恒星の集団、そして大千世界が銀河系となる。 だから、くだけた表現に直すならば、

たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の銀河系を、粉微塵にして、東方、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、一つぶのチリを落とす...このようにして、東に行きてこのチリが無くなるとする。お前たち、この数の銀河世界は、計算して、その数を知ることができると思うか?

となるだろうか。 弥勒菩薩をはじめとする、弟子たちは一斉に答える。

世尊、このもろもろの世界は、無量無辺にして、算珠の知るところにあらず、また心力のおよぶところにあらず。一切の声聞・辟支佛、無漏知をもってしても、思惟してその限数を知ることあたわじ。われら、阿惟越致地に住すれども、この事の中において、また達せざるところなり。世尊、かくのごときもろもろの世界は、無量無辺なり。

算珠というのはソロバンのこと、今で言うならコンピューターのこと。 くだけた表現に直すならば、

弥勒菩薩は、 「たとえ、コンピューターとして帝釈網を駆使しても、絶対に知り得ることはできません。」 と答えた。

ということだ。 釈迦仏が仏果を得てから、現在にいたるまでの時間をひと言で片づけてしまうのは(釈迦仏自身には)たやすいことだ。 だから、次の説法は、

そのときに佛、大菩薩衆に告げたまわく、 「もろもろの善男子、今、まさに分明に、汝等に宣語すべし。このもろもろの世界の、もしは微塵をおき、もしはおかざるところを、ことごとく以って塵となし、一塵を一劫とせん。我れ成佛してよりこのかた、またこれに過ぎたること、百千万億那由他阿僧祇劫なり」

となる。 くだけた表現に直すならば

佛は弟子たちに告げた。 「この銀河団の、微塵をおいたところ、もしはおいていないところを、ことごとく以ってまた粉末にし、一つぶの塵に一劫を乗算する。この時間が、仏果を得てから過ぎ去った時間、「五百塵点劫」である。」

想像すると分かるだろう。 弥勒菩薩にしてみれば、無限のように感じられる「五百塵点劫」は、釈迦仏にとっては、有限の時間なのである。 釈迦仏が「五百塵点劫」を説き、弥勒菩薩が「私には(頭では)分かりません。(頭では)理解できません。」と答える。 いわんや、釈迦仏の仏果の具体的な内容など、弥勒菩薩には知り得ようがない。 弥勒菩薩が帝釈網をもって計算するとも、かくのごとし。いかにいわんや、末法の素凡夫が、ノイマン型コンピューターをもって、計算をしようとするにおいておや。 ワトソン君にも、Siriたんにも、分からない魔法の言葉、それが仏果、すなわち「南無妙法蓮華経」なのである。

末法において仏果を得る条件

では、私たち、末法の素凡夫には、仏果は得られないのか? その疑問は、これが初心者の疑問ならば、答える段階ではない、と突き放すこともできる。 または、昔の私ならば、答える資格が無い、と謙譲することもできる。

 

大石寺第二祖・日興上人の時代の御本尊下附は次のような基準であった。 日興上人『富士一跡門徒存知事』にいわく 「一、御筆の本尊をもって形木に彫り、不信の輩に授与して軽賤するよし、諸方にその聞こえあり、いわゆる日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分においては、 在家・出家の中に、あるいは身命を捨てあるいは疵(きず。刀傷のことか。)をこうむり、もしくはまた在所を追い放たれ、一分の信心ある輩に、かたじけなくも書写し奉り、これを授与する者なり。本尊人数等、また追放人等、頚切られ死をいたす人等」(『富士宗学要集・第一巻』57ページより引用)と。

 

つまり、日蓮大聖人の御心に叶う、不惜身命の僧侶・信徒にのみ、時の大石寺法主上人から、その者に常住本尊を下附し、以って仏果証得の資格証明と為す、と。

 

私も、「日興上人の弟子分」として、「一分の信心」に立ちたいと熱願する者である。

『鹿野苑の王さま(中)』・「釈迦菩薩の決意」(通釈第二部)

ある日、提婆達多の方の群れが仲間を差し出す順番になりました。

群れの中でその日の順番に当たっているのは、子鹿を身ごもっている雌ジカでした。

雌ジカはボスの雄ジカ(提婆達多)に申し上げました。
「今日は、本来ならば、私が国王の城に送られる順番ですが、次の鹿に代わってもらえないでしょうか?」

雄ジカ(提婆達多)はいぶかしげにその理由をたずねました。
「ワケは何だ?命が惜しいのはみんな同じなんだぞ。」

雌ジカは打ちあけて言いました。
「私のおなかの中には子ジカがいます。たしかに私は今日死ぬべき運命かもしれませんが、おなかの中の子ジカはまだまだ死ぬべきときではありません。国王との約束があるからというだけで、本来生きながらえるべき子ジカが殺されてしまう理由はありません。」

それを聞いて提婆達多は声をあらげました。
「子ジカはまだ生まれていないのだから、母親であるお前とは一心同体で、命を惜しむべきではないのだ。順番を守って今日は国王の城へ向かいなさい!」

雌ジカはそれを聞いて、悲嘆に暮れました。
「ああ、このボスにはまるで慈(いつく)しみというものがない。道理が立たないのに、この子に死ね、と言うのか…。」

雌ジカはしばし、考えていましたが、国王との約束を結んだもう一方の群れのボス(釈迦菩薩)のもとに向かうことにしました。

途中で、釈迦菩薩の群れを守っている若い鹿に囲まれました。
「キミはとなりの群れの…。たしか、今日は国王の城へ向かう順番ではないか?」

雌ジカは頼みこむように言いました。
「お願いだから、あなたたちのボスに会わせて!!」

釈迦菩薩は、この騒ぎを耳にするや、かけつけました。
「なにごとか!?」

雌ジカは悲しげに雄ジカ(釈迦菩薩)に訴えました。
「あなたは慈悲深い。どうか、私の訴えを聞いてください!」

雌ジカは子ジカを身ごもっていること、群れのボス(提婆達多)にとりあったが聞き入れてもらえないことを訴えました。

釈迦菩薩は答えました。
「もし、キミをそのまま城に送っていたら、それは私(釈迦菩薩)とキミのボス(提婆達多)が、キミの子を殺生するのと同じことになっていた。もし、順番でもないのに、私の群れから仲間を差し出すならば、それも道理には反している。」

若い鹿たちと、雌ジカは、目を見はり、釈迦菩薩のコトバのウラに秘められた決意が重く、強いのを知って、悲しげな声をあげました。
「ボス、それでは…。」

釈迦菩薩は、若い鹿たちに言いました。
「みなの者、私はこの母親を群れに送っていくから。あとのことは頼んだぞ。」

そう言って、釈迦菩薩は自分のナワバリをあとにしました。

もう一方の群れのナワバリまで来て、かけつけた提婆達多に、釈迦菩薩はキッパリと言いました。
「提婆よ、君に私の群れを託す。今日は私が国王の城に向かうから。」

提婆達多はおどろきましたが、釈迦菩薩は
「またしばらく会えなくなるね。」
と答えて、その場をあとにしました。

 

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『鹿野苑の王さま(上)』・「釈迦菩薩の賭け」(通釈第一部)

古代インドに、ハラナイという国がありました。
あるとき、ハラナイ国の王さまは家来たちをひきいて、山に狩猟に行きました。

山に入ってすぐに、王さまと家来たちはその数、一千匹くらいの鹿の大群を発見。

王さまは多少、昂奮してしまいました。

群れは二つに分かれていて、それぞれの群れに一匹のボスがいます。

そのとき、王さまは知りませんでしたが、
一方の群れのボスは、のちに仏となる、修行中の釈迦菩薩の生まれ変わりであり、
一方の群れのボスは、のちに仏道修行を退転し、お釈迦さまに敵対し「五逆罪」を作ㄦことになる、修行中の提婆達多の生まれ変わりでした。

 

釈迦菩薩は、鹿の身に生まれてはいましたが、身に七宝の色をまとっており、見るからに不思議な威厳をそなえ、また菩薩としての本心を少しも見失っていませんでした。

 

雄ジカ(釈迦菩薩)は、王さまと、その家来たちが、鹿の群れを追いかけ、狩に興じているのを見て、悲しい思いが強くこみ上げてくるのをおさえきれませんでした。
(王さまは、まるでスポーツのように狩猟を楽しんでいる。このままでは王さま自身も殺生の罪を負う。そして、今日のような狩りがあるたびに、群れの鹿は殺されていくだろう。)

 

雄ジカは、ひるむことなく、王さまのもとへと駆けよっていきました。

王さまと家来たちは、この雄ジカ(釈迦菩薩)を見て、われ先に雨のように矢を射かけました。

が、矢は一つも雄ジカの身には当たりません。

王さまは、この不思議な雄ジカが、矢面に悠然と進み出てくるのを見て、ただならぬ状況を察知しました。

 

家老の制止を振り切ってみずから大声を出した王さまは、家来たちに弓を止めさせました。

雄ジカ(釈迦菩薩)は、面前にひざまずき、人の言葉を発して、王さまに申し上げました。
「王さま、みずからの欲望に任せて狩りをなさるのは楽しいことかも知れませんが、私たち鹿にとって、狩られることは死の苦痛と恐怖を味わうことにほかなりません。」

雄ジカが人の言葉を発したことに、王さまと家来たちはさらに驚きました。

王さまは思いました。
(この雄ジカは、ただの鹿ではない。ヴィシュヌ神の化身か?!)

王さまは雄ジカにたずねました。
「そなたは、何ものなのか。見た目といい、人の言葉を話すことといい、不思議なことばかり。余には、そなたが単なる雄ジカであるようには思えないのだが。」

雄ジカは、王さまに答えて、
「私は、この林に住む、鹿の群れのボスの片われです。」
とだけ答えました。

釈迦菩薩は、おぼろげな確信のもとに巧妙にある賭けを打ったのでした。
(王さまに、正当なハラナイ国王としての資格があるなら、私や提婆達多と同じように、菩薩の生まれ変わりとしての過去世があるはず…。もし、この提案が蹴られるような人間なら、狩りをやめることはないだろう。)

雄ジカは、続けて王さまに申し上げ、
「もし、さしつかえなければ、狩りをやめていただけないでしょうか。そのかわり、一日一匹ずつ、鹿を差し出すことにします。」

王さまは、この提案に戸惑いを隠せませんでしたが、雄ジカの提案に対して、キッパリと答えました。

「確かに、殺生の罪は天地もこれを忌む。余もそれは分かってはいるつもりだ。」

雄ジカ(釈迦菩薩)は、すかさず、
「では、この提案をお受けいただけますか?」

王さまは、黙ってうなずきました。

雄ジカは、王さまに深々と敬礼をして、
「ありがとうございます。」
と申し上げ、王さまの面前を去っていきました。

こうして、釈迦菩薩・提婆達多の群れは、代わりばんこに、一日一匹の鹿を、王さまの城に差し出すことになりました。

 

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故事『鹿野苑の王』原文(妙楽大師湛然『止観弘決』より)

(底本『富士学林版・訓読 摩訶止観弘決会本 上』)

「鹿苑」と言うは、『大論』にいわく…

昔、ハラナ王は山に入って遊猟するに、二の鹿群を見る。数は各五百なり。各一の主あり。一の鹿主あり、身は七宝の色なり。これ釈迦菩薩なり。また一の主あり、これ提婆達多なり。

菩薩の鹿主、王のその群党を殺すを見て大悲心を起こし、直ちに王の前に至る。諸人は競い射るに、飛ぶ箭は雨のごとし。

王はこの鹿の忌憚するところ無きを見て、

「必ず深意有らん」

として、勅して射ることなからしむ。

鹿は王のところに至って、ひざまずいて王にもうしてもうさく、

「王、小事をもって一時に鹿をして死の苦を受けしむ。もし饌(そな)えるに供するをもってせば、まさに次をつかわして毎日に一の鹿を送るべし」と。

王はその言を善しとす。

ここにおいて二の主はおのおの次をつかわして送る。

次に調達の群れの中に当たる。一の母鹿あり。その主にもうしてもうさく、

「われ死分に当たれり、しかしてわれは子を懐(はら)めり、子は死の次にあらず、屈(ま)げて料理を垂れて生者をして濫ぜざらしめよ、死者は次を得ん」と。

王はこれを怒っていわく、
「誰か命を惜しまざらん、次来たらばただ去れ」と。

母は思惟していわく、
「わが王は慈無くして横(よこしま)に嗔怒せらる」と。

すなわち菩薩王のところに至ってつぶさに王にもうしてもうさく、
「大王は仁慈なり。わが今日のごとき、天地は広遠なれども控告するところ無し」と。つぶさに事をもってもうす。

菩薩王のいわく、
「もしわれ理(ことわ)らずんば、枉(ま)げてその子を殺さん。もし次にあらずしてさらにつかわすならば、後の次に何をか遣わさん。おもうにわれ、まさに代わるべし」と。

思惟はすでに定まってすなわち自ら身を送って、鹿母をして遣わして群れに還らしむ。

菩薩の鹿王はその王の門にいたる。衆人これを見て、その自ら来たることを怪しみ、事をもって王にもうす。

王もまたこれを怪しむ。

王は問うていわく、
「群鹿の尽くるか、而してたちまちに自ら来たるか」と。

鹿王のもうさく、
「大王は仁慈にして人の犯す者無し。ただ滋茂することあって、尽くるときあること無し。ただ彼の群鹿は帰ってわれに告ぐ、われこれをあわれむがゆえにもし分にあらずしてつかわさばこれまた不可なり。もし縦にして救わずんば木石に異なること無し。この身は久しからずして必ず死を免れず。慈をもって苦厄を救わばその徳は無量なり。もし人として慈無くんば虎狼と何の別かあらん」と。

王はこの語を聞いてすなわち座よりたって偈を説いていわく、
「われは実にこれ畜獣なり。名づけて人頭の鹿という。
汝はこれ畜生なりといえども、名づけて鹿頭の人といわん。
理をもって人となし、形をもって人となさず。
われ今日より始めて一切の肉を食らわず。われ無畏をもって施(ほどこ)す。
また汝の意を安ずべし」と。

諸鹿は安きことを得、王は仁信を得たり。

…と。