ヲカシック・レコード

われら今、真にこれ声聞なり。佛道の声をもって一切をして聞かしむべし。(妙法蓮華経 信解品第四)

『寿量品談義』:歩みを運びて丁聞し福を得るの事(日寛上人ご指南)

(投稿者注記:底本=山喜房仏書林版『富士宗学要集』第十巻)
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覚真日如(第二十六代 日寛)講述
文啓日厳(第三十代  日忠)丁聞

 

妙法蓮華経如来寿量品第十六
爾時仏告諸菩薩 及一切大衆◯無量無辺百千万億那由他劫 也 已上

 

歩みを運びて丁聞し福を得るの事


歩みを運び説法を丁聞したまふべきこと、専らなり。もし、しからずんば罪を得べきなり。

 

『珠林』33‐4にいはく
「優婆塞戒経に曰く『若し優婆塞、六重戒を受持し已(おは)って四十里中に法を講ずるところあって、往いて聴くこと能(あた)はざれば失意罪を得ん』」已上。
(投稿者注:優婆塞=表意としては“在家の男性信徒”を意味するが、ここでは男女の性別にかかわらず、“在家信徒”の意味)

 

この文、「得失意罪」とは、『箋難』2‐31、『文随』4‐末‐11に云く、「得失意罪とはその報ひとして不如意を受くゆへ、報ひを以て罪と名づく。ゆへに失意といふ」已上。

 

これらの文の意は四十里中に説法あるに、往いてこれを聞かざれば、意に願うこと、一切叶ふべからざるなり。

(投稿者注記:四十里=約160km)

 
もししからば来りて丁聞する功徳いかん。
答ふ、『三国伝』1‐49にいはく
「維摩長者といふ人あり、歳・八十有余にして始めて仏の説法の砌(みぎ)りへまいる。道を聞くに、その家より四十里なり。
仏にもうしてもうさく、
『法を聞くがために四十里を歩いて参ること、その功徳・いくばくぞや』と。
仏すなわち答へたまふ、
『なんじが歩む足の土を取りて塵となし、その塵の数にしたがって一塵に一劫づつの罪を滅し、また寿の長きこと、この塵の数と同じからん。また、世々に仏に値(あ)ひたてまつること、この塵に同じく無量無辺ならん』」と。

また、『因縁経』にいはく
「法を聞くがために一歩すれば万億の生死の罪を滅す」已上。

 

しかれば歩みを運びて聞くと・聞かざると、罪・福、既に雲泥なり。何ぞ最裏世路(さいりせじ)にこだわってこれを聞かざらんや。恨みらくは各道の近きことを云云。

 

吾れは是れ田舎辺鄙(いなかへんぴ)の僧なり、言語のなまり有らんことを恐る云云。

『名義』3-12にいはく
「摩竭提(まかつだい)、ここに善勝と云ふ、また無悩といふ」と。
『西域記』にいはく
「摩竭陀(まかつだ)、古くは摩伽陀(まかだ)といふ」と。
またいわく
「摩竭提はみな、なまりなり」已上。

同19-丁にいわく
「阿耨達◯」と。
『西域記』に云く
「阿那婆答多池(あなはたったち)、旧(ふる)くに阿耨達池(あのくたっち)といふはなまりなり」已上・取意。


これらは、みな音の近きがゆへなり、しかりといえども同じ仏の成道の国・「中天竺」なり、別国なきなり。また同じくこれ香山の南、雪山の北、周り八百里の無熱池なり、云云。

 

『弘』1-上-53に「もと、天梯(てんてい)と名づく、いはく、その山高くして登らば天に昇るべし」と。のちに大いに訛伝せらる。

 

ゆへに天竺の已上のような声のなまり、文字のなまりのありといへども、今しばらく声のなまりの義に依る。いわく天テイ・天ダイ声近きゆえなり。しかりといえども異処にあらず。智者大師の住みたまひしところの四万八千丈の山なり。少しく言語のなまり有りといえども、その体・異なるべからざるなり。

 

多分、花洛はなまりなく、田舎ははなはだ多し、しかりといえどもまた少分は互いに通ずるか。
宗々の祖師、多分は田舎の所生なり。『釈書』16-6にいはく
「『日本紀』にいはく、神功皇后、肥前の国・松浦県に到りて食を進む、玉嶋の里、小河の側におひて釣竿をあげて細鱗魚を得る。いはく、希見物(メヅラモノ)なり。希見(メヅラ)、これを梅豆羅志(メヅラシ)といふ。ゆえに時の人、そのところをなづけて、『梅豆羅国』といふ」と。今、松浦といふはなまりなり、これ和国のなまりなり。

 

風俗と云ふ事、『書註』3-20の『補註』14にいはく
「漢書にいはく、凡人・五常の性を含み、剛柔・緩急同じからず、水土に繋って風気といふ。いはく、風・動・静、無常に随ひ、君の上の情欲の故に之を俗といふなり」云云。


◯伝教大師は近州滋賀郡なり、義真は相州の人なり、慈覚は下野都賀郡、智証は讃州那須珂郡の人、弘法は讃岐多度の郡の人、『釈書』1-27にあり。法然は美作国久米南条稲岡の人なり。『書註』1-21を往ひて見よ。
または『釈書』に「言語は国々の風俗なればこれらの祖師もその国々の言なるべし」と。これらはしばらくこれを置く。

 

大聖人京ナメリを誡むる事

わが祖師・大聖人は安房国長狡郡(※投稿者注記)の御生れなり。かねて誡めていはく
御書30-17にいはく「総じて日蓮が弟子、京に登りぬれば始めは忘れざるようにて天魔ついて物に狂う、定めて言つき音なんども京なめりに成りぬるらん。鼠(ねずみ)が蝙蝠(こうもり)に成りたるようにあらん、鳥にもあらず、鼠にもあらず、田舎法師にもあらず京法師にも似ず。セウ房がやうになりぬとおぼゆ、言をばただ田舎にてあるべし、なかなかあしきやうにてあるなり」已上。
(投稿者注記:長狡郡=長狭郡)

 

しかれば世間の言、田舎なまりになまるも、ただ成仏の言のなまりなきこそ真実のなまりなしといふものなり。たとひ、世間の言になまりなしとも、成仏の言になまりあらば三国無双の大なまりなるべし。

そのなまりなき成仏の言とはいかん。いはく、本門寿量品の文底に秘して沈めたまふところの南無妙法蓮華経・これなり。これすなはち宗祖の教へのごとく唱ふるがゆへなり。
(投稿者注記:「京ナメリ」とは、法門の相対において、迷乱を生ずる障り)

 

文証・料簡

『開目抄・上』7にいはく
「一念三千の法門は唯、法華経の本門寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」と。
『観心本尊抄』23にいはく
「是好良薬とは寿量品の肝心、名・体・宗・用・教の南無妙法蓮華経なり」と。
『撰時抄・下』23にいはく
「寿量の肝心は南無妙法蓮華経の末法に流布せんするゆへにこの菩薩を召し出せり」と。その外、これ多しといへどもこれを略す。

 

宗祖の教への如く本門寿量の事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱へたてまつる、これすなわち、なまりなきなり。御書の中になほ、“神力品の南無妙法蓮華経”と云ふは無きなり、いはんや本迹一致の南無妙法蓮華経をや、いかにいはんや四十余年の未顕真実の念仏の大なまりをや。「少く勧進」云云。「値ひ難きに値ふ」と云云。